2014年10月9日

スカラシップ2014上半期レポート 臼杵遥志

参加を促す責任
臼杵遥志

先日開催された佐藤佐吉演劇祭2014+の在り様について「観客の参加」を軸に考察し、まとめようと思う。

◇複数会場での開催

二週目からの参戦だったので王子小劇場、王子スタジオ、pit北/区域の三会場での観劇ではあったが、この試みは功を奏していたように思われる。

複数の劇団がそれぞれの作品(=ソフト)を実演する場(=ハード)が複数あるということは、今回のような多様性に軸を置くタイプの演劇祭にはうってつけだったのではないだろうか。実際、王子スタジオのガラス張りの開放的な雰囲気や、pitの倉庫を思わせる閉鎖的な空間が作品を構成する要素として大いに働いている作品も見受けられた。(ex.ワワフラミンゴ「映画」、NICE STALKER「女子と算数」)

また、複数会場によるメリットは作品だけに留まらず王子という町にももたらされた。それぞれの会場で少しずつ開演時間をずらし、日に複数の観劇をするいわゆる“ハシゴ”を可能にしたことによって観客が王子に滞在する時間、王子の街を歩く機会を創出することに成功した。結果、町の賑わいや周辺店舗の売り上げにも寄与したものと思われる。私自身、これまで王子小劇場で観劇することはあっても王子で食事や買い物をする機会はほとんどなかった。それが今回は作品と作品の間、会場までの時間を王子の町で過ごす機会が多く生まれた。


◇演劇“祭”であること

「劇場のセレクション団体による連続上演」というのがこれまでの佐吉祭のスタンスだそうだ。期間は約二か月から二か月半。参加したのは8~10団体。一方、今回は期間が約一か月、参加したのは12団体。運営の負担は後者の方が遥かに大きいことは素人目にも明らかである。しかし後者の方が演劇祭自体の密度・熱量、平たく言えば「祭りっぽさ」が高いのも事実だろう。私は過去の佐吉祭を見ていない、つまり前者の実態を知らないことを前提とした上ではあるが、後者のお祭り感を分析しようと思う。

一番の違いは観客の参加度合ではないだろうか。前者の場合、観客は演劇祭だからといって特別何かいつもと違うことはそれほどないだろう。いつものように気になる公演を選び、予約をし、観に行く。後者の場合、まずハシゴという選択肢が通常よりも選び易い位置に用意されていて、演劇祭パンフレットを片手に王子の町を歩いたり、演劇祭期間だけの休憩スペース「ひみつきち」に行ったりする。そこには様々な非日常が存在していて、それによって観客も「祭りに参加している感」を感じることが出来る。Vineによる応援メッセージや劇場周辺の店舗との連携など、より多くの人を巻き込む仕掛けも祭りの盛り上がりを演出していた。インターネットや地デジのような「双方向の作用」を作品の外側で上手く活用した点で従来の佐吉祭と違ったのではないだろうか。


◇スポンサー賞

佐吉祭の各賞は王子小劇場の年間賞である佐藤佐吉賞との差別化のためかどちらかといえば緩い、お祭りのような楽しげな賞レースとして位置づけられているのかもしれない。最優秀作品賞・最優秀俳優賞といった文言は使わずゴールデンフォックス・衝撃俳優賞とすることで確かに表面上はラフにはなるがそれ以上に曖昧な評価基準や、観客による投票だけで演劇祭の実質上のトップを決めることに対する抵抗が大きくなってしまう。観客賞が存在すること自体には賛成だが、その在り様は本当にそれでいいのだろうか。私は何も演劇祭の賞にシビアさを求めることの是非を説きたいのではない。先にも述べた通り、今回の佐吉祭は観客の参加度合が高かっただけに各賞の設置・授与が「内輪」に見えてしまうことの問題を提議したい。

「照明」や「特殊技術」といった作品要素の部分的評価や「おもてなし」や「クーポン」といった制作的な評価には作品同士を比較し、評価する意義が認められるが、「アルコール」や「シャンデリア」など特定の作品に形式上賞を与えるために無理くり作ったような賞を与え、最終的に12団体全てを同列に並べるくらいなら最初から「参加賞」とでもした方がよっぽどフェアで誰しもが納得のいく賞の設置・授与である。
また評価基準・審査過程も曖昧で不透明である。その作品のどこをどう評価して、他の作品よりどう優れていたのかを非公開にするならするではっきりとそのスタンスを提示してほしいし、順位がついているのなら知りたくなるのが観客の本音だ。

何度も繰り返すが私はお祭りに水を差したいわけではない。しかし、上記のような賞は参加団体のモチベーションにも観客の熱狂にも繋がるとは到底思えず、主催者や協賛者の自己満足のようにしか思えないのだ。お祭りゆえのラフさやユーモアは大歓迎だがそれが内輪での盛り上がりになってしまっては意味がない。先に述べた通り今回の佐吉祭は観客の参加度合が高いものだっただけにその総括的な評価、着地点である各賞には最低限の公平さ・透明度が求められていた。それを訳の分からない賞、中途半端な評価基準と透明度で終わりにされたのでは裏切られた気分にさえなってしまう。

このスポンサー賞の項に関しては主観・私見に依る部分が大いにあるが、逆に言えば一観客として概ね楽しめた演劇祭の中でこの部分だけが納得のいかない浮いた部分であったことだけは記しておきたい。

◇総括

今回の佐吉祭は「観客の参加」を利用し、時間とお金が許せば「他の作品も見たい!」と観客に思わせる仕掛けに富んでいた。これまで獲得しえなかった層の視線を得ることができたのではないだろうか。またこれが公共劇場ではなく民間の劇場、民間の企業が主体となっていることも大きなポイントだろう。アウトリーチや公益性よりも演劇作品の実演が真ん中にあってぶれない、劇場も観客もまずは良質な作品を求めるという姿勢によって成り立っているところに佐藤佐吉演劇祭の小劇場界におけるアイデンティティとオフシーンの旗手である王子小劇場の担う役割がある。それだけに、唯一無二のスタンスを貫いてほしかったという思いが残るのも事実だ。結論、王子小劇場は高いエンタメ性と芸術性を両立させる「戦う劇場」で、佐藤佐吉演劇祭はその活動のひとつの答えなのだろう。

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